2013/02/12

『国宝 十二天像と密教法会の世界』 於:京都国立博物館





日曜日の午前に行ってきました。

起きるのが遅くなって、午後から母と映画を観る予定もあったので、展覧会を見る時間は1時間ちょっとくらいしかなかったんですが、見たかったものは見れたので、まぁまぁ満足です^^

仏画を見るのが好きです♥

きれいな天部をたくさん見れました。



第一部 国宝 十二天像と後七日御修法



第一章 国宝 十二天像



《水天》

《毘沙門天》

火天

風天

《月天》

いずれも国宝で、平安時代、大治2年(1127年)の作。

1000年前に作られ、「後七日御修法(ゴシチニチノミシホ)」という国家鎮護の修法で実際に用いられていた仏画です。

京博(=京都国立博物館)に所蔵されていますが、今回初めて、12幅すべてが一堂に展示されました。

展覧会の最初の一室に、いきなりあってびっくりしました。展覧会のメイン作品というのは、たいてい真ん中くらいの部屋に展示されているものなので。

114cm×127cmと大きいので(12幅とも同じくらいの大きさ)、1幅だけでも迫力がありますが、12幅ならんでいると、それはもう圧倒されるくらいの存在感と、力というのか、大きさというのか、実際の大きさ以上の広がりを感じました。

仏画を見るのが好きな理由は、とてもきれいでやさしくて力強いからです。

如来部(阿弥陀とか薬師とか)はともかく、天部(十二天とか阿修羅とか)は衣装が華やかで煌びやかで、宝飾品も多く、文様も細かく描かれているので、細部まで見ていて飽きません。

ほとけさまなので、お顔はとてもやさしいし。

何より仏画や仏像には、祈りが込められています。

今回見た十二天は1000年分の祈りが積み重なっています。1000年という時間プラス、国家・天皇・国民・日本の安定と平安を願う力強い密教の修法による祈りがこもっているのですから、存在感や迫力というだけでなく、祈りの象徴のような気もします。

なので、絵の具が剥落していても、煤(スス)でくすんでいても、美しさに変わりはなく、時を経ている分、より美しいんです。



仏教の勉強から離れて大分時間がたっていたし、最終日になるまで忘れてたこともあって、自分はもう仏教(仏画)に興味をなくしたのかな? と思って、行こうかどうしようか迷ってたんですが、行ってよかったです^^



この展覧会は、十二天が一度にすべて並ぶということがメインであり、それがすべてとは言わないけど半分くらいは占めているので、見る時間があまりなかったこともあって、文字資料などはスルーしました。



第四章 後七日御修法の荘厳



《三鈷杵》

《五鈷鈴》

密教法具。金剛杵、金剛鈴のうちの一つの形で、独鈷・三鈷・五鈷・宝珠・宝塔などがあります。

この写真では五鈷はちょっとわかりづらいですね。

武器の形ですが、人を攻撃するものではなく、煩悩を滅ぼすためのものです。



第二部 灌頂とその荘厳―山水屏風と十二天屏風を中心に―



《十二天屏風》

ほとけさまの図像には型がありますが、時代や地域や宗派によって違うので、こちらの十二天と冒頭の国宝の十二天とは姿かたちが違います。

その違いなどを勉強していくと面白いのですが、大変な学問です。



国宝の十二天をすべて一度に見ることができただけでも、行ってよかったなと思う展覧会でした。

面白かったというよりも、ちゃんと見れてよかったという感じです。

興味がなければ、良いも悪いもないと思いますが。

宗教というものは本来どれがいいとか、どこが正当かとかではなく、個人個人の心に働きかけるものであり、1人1人にとって、心が落ち着き、安定を得られるなら、それだけでいいのだと思います。


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