2018/01/11

『没後40年 熊谷守一 生きるよろこび』 於:東京国立近代美術館

photo by tana


2017年12月21日に、GOT7 TURN UPツアーファイナルの武道館コンサートに行く前に行ってきました。同じ公園内(と言っていいのかな?)にあるので、熊谷さん好きだし「こりゃあいい」と行ったら、良すぎて長居しちゃって、知人との待ち合わせに遅れるという失態を犯しました。

花や猫を描いたものが好きで、いろいろな作品をいろいろな場所で見ていたのですが、これほどの大規模な回顧展は初めてでした。なので、様々な発見があり、とても素晴らしい展覧会でした。

まず一番大きな衝撃は、初期作品の暗さです。暗いを通り越して、怖いくらいです。



第1章 闇の守一 (1900~10年代)



《轢死》 1908(明治41)年

初期の頃は「光と影」を追い求めて(?)いた頃です。

大学に通っていた時、女性の飛び込み自殺を目撃し、それをモチーフに描いた作品。タイトル通り轢死体です。絵具の油脂分が劣化して、元々暗い絵がさらに黒くなってしまっていて、具体的なものは分かりません。完成当初はどんな風な絵だったのでしょう。見てみたいような、見たくないような。って検索したら出てきましたので、興味ある方は個々でググってみてください。

闇が主題のこの絵ですが、死んで横たわった女性が、画面を縦にしてみると、生き返って立ち上がったように見えたそうです。いやいや、そんなこと…と思うものの、想像してみたら、めちゃ怖いです。



明治の世で、美大に通い絵を習っていた守一さんは、どんな闇を抱えていたのでしょうか。人は誰しも、内側に闇を抱えていると思います。それを表現するか、できるか、隠してしまうか、自分でさえも分からないくらい閉じてしまうか、それは人それぞれですが、内側に抱える闇を、絵を通して表現しようとした守一さんは、尊敬に値するくらい強い人のように思えます。



第2章 守一をさがす守一 (1920~50年代)



《陽の死んだ日》 1928(昭和28)年2月28日

4歳で死んだ次男・陽さん。幼くして死んで、この世に何も残すことがなかった我が子の死に顔を描き始めますが、途中で息子を描いているのではなく、絵、作品を描いていることに気付いて止めてしまいました。



《日蔭澤》 1952(昭和27)年

闇を抱えながらも、作風が段々変わっていきます。段々、知っている守一さんになっていきます。特徴的な赤い輪郭線も出てきます。厚塗りや風景画、裸婦画なども多いこの頃は、自身でも作風を模索しているようで、ヨーロッパの画家を参考にしていたらしいことも見て取れます。マティスっぽい、シニャックっぽい、ミロっぽい等々、そんな印象を受ける作品もたくさんありました。



《御嶽》 1954(昭和29)年

守一さんには同じような作品が多々あります。作品(の下書き?)をトレースして、同じようなものをまた描く、という手法を取っています。そんなんありか、とも思ったものですが、職業画家なら、人気のある絵柄などは同じような作品の注文もあるだろうし、良いかもしれません。



展示でも、このように並んでいます。トレースという手法もわかりやすいですし、同じだけど同じじゃない、というのもよく分かります。線や形は同じでも、絵具の塗り方、色合いは1つずつ微妙に違います。単に同じような注文に応える方法という他に、同じものを描く内に、作品の質が上がっていくから、ということもあったようです。



第3章 守一になった守一 (1950~70年代)



《稚魚》 1958(昭和33)年

キャプションではマティスの《ダンス》という作品との類似点を指摘していました。独自路線を貫くと言われていた守一さんですが、年代順で見ていくと、海外の作家などの作品も参考に、独自の技法というか描き方を模索していたのでしょう。





異時同図法ということも言われています。同じものの違う時点を、1つの画面に描きこむ。短い絵巻物みたいな感じだと思っています。別々の蟻ではなく、1匹を観察しながらデッサンして、画面にバランス良く配置する感じでしょうかね。これらの蟻さんの絵を描くために、蟻を観察していたら、左の2番目の足から歩きだすことを見つけたそうです。

デフォルメというのは、やはり観察とオリジナルを完璧に近い精度で把握してからでないと出来ないものなのだ、ということを思い知ります。蟻の足の一本ずつの動きまで見極めてから描くのが、熊谷守一さんなのです。

光学も好きだそうです。守一さんの絵は、写実なのです。



《朝のはぢまり》 1969(昭和44)年

守一さんの作品の中でわたしが一番大好きな絵です。似たような絵もあるし、かわいい猫の絵も好きですが、わたしはそれらは比較にならないほど、この《朝のはぢまり》という作品が好きです。

まだ闇に包まれた世界に、太陽が昇ってくるというよりも、何か自分の内側から太陽を見つけ出す、そして朝が始まる、そんな印象があります。朝日のイメージって地平線や稜線から光を放つみたいなものがほとんどですが、これは、一番真ん中が白いからか、開かれていくイメージです。



似たような絵で、画面右のピンク色から《朝日》《朝のはぢまり》《夕映》《夕暮れ》という作品があって、一列に並んで展示されています。ふと、夕映えと夕暮れってどっちが早いのだろう、と思いましたが、並び順からして、夕映えの方が時間的には早いのでしょう。



この絵の上に書いてある文字を、メモしています。

「生きていたいと思います。わたしはしみったれですから、いくつになっても命は惜しい。命が惜しくなかったら見事だけれど、残念だが惜しい」(『蒼蝿』1976年)

97歳まで長生きをした「仙人」とも呼ばれていた人ですが、「生きていたい」という強い思いはどうやったら持つことができるのでしょう。自分の内にある欲求を絵具に乗せて表現することが出来る強さは、生まれ持った才能なのでしょうか。わたしも、そうしたものが欲しかったと思っていました。だけど、そういうものはわたしにはありません。ただ「命が惜しい」ということもないし、「生きていたい」ということもない。ただ「死なない」ということを選んだだけの自分には、この言葉は重かったです。

《朝のはぢまり》に強く惹かれる理由が、ここらへんにありそうです。

今は、買い物に行くとか習い事を休まないとか、小さな目標をクリアしていくこと、ライブの予定を入れて、それを楽しみにすることで、日々を生きています。



《眠り猫》 1959(昭和34)年

最後に。団子のようだ、と思いました。

こうしたかわいい猫の絵や、朝日の絵しか知らなかったので、初めて体験する「熊谷守一」という人の画業は、想像を上回る壮絶さで、圧倒されてしまいました。本当に行ってよかったと思います。画家だけではないけれど、人1人の人生を追体験するのは、本当にエネルギーが要ります。好きな画家ならなおさらです。

画家や歌手や作家は、作品を残すことで、その人の人生を没後何年経とうと追うことができますが、そうした残すものが何もなくっても、同じ人間の人生であることは変わらず、山谷の激しさは人それぞれだけど、誰にでもそうしたものがあるはずです。自分は平坦な道を歩いていると思っていても、他人から見たら、その道は谷底かもしれないし、あるいは山の上の細い稜線かもしれません。

1回沈んで浮上している途中だからなのか、「生きる」とか「才能」とか「人生」とかそうしたものに敏感なようです。

もう1回行きたいくらいです。興味を持たれたら是非どうぞ。おすすめの展覧会です^^


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