お盆の時期に東京に行って、美術館巡りをしてきました。その時に見た展覧会の1つ。元々、この美術館が好きで、東京へ行った際にはなるべく行くようにしていたので、展覧会自体には、最初はそれほど興味はなかったものの、時間もできたことだし、行くことにしました。
そしたらば、思った以上にとってもよかったです!
「写真」というものを、ただ現実をそのまま切り取る記録媒体としてだけではなく、芸術の1つとして捉えて、「作品」を作ろうとしていた女性です。
絵画のような作品が多くて、写真だから現実なんだけど、とても幻想的で、美しくて、見ていても面白かったし、楽しかったです^^
Ⅰ 最初の成功からサウス・ケンジントン博物館へ
《アニー》 1864年 |
1863年末に娘からカメラをプレゼントされて写真を始めたキャメロン。48歳。これ以降、独学で写真技術を学び、精力的に活動します。
これは、彼女が「最初の成功」と言うことができたものです。
《沈思の人》 1865年 |
タイトルの《沈思の人 (Il Penseroso)》はハミルトンの詩集のタイトルでもあります。悲哀の擬人化の表現です。
キャメロンは芸術的な作品を作るために、ルネサンス期の絵画を参考にしていたようです。寓意的主題で写真を取ることは、当時はとても批判されたようですが、その一方で芸術性を評価する声もあったそうです。
19世紀というのは、写真というものにとって、ただの記録なのか、芸術表現も可能なのか、そんな思索の時代だったのかもしれません。
Ⅱ 痺れさせ驚嘆させる
《クリスタベル》 1866年 |
ジュリア・ジャクスンという姪をモデルにした作品。
キャメロンは、自分の視覚に美しく映る所を探して撮影しているので、この当時の他の写真家が強く求めていた明確な焦点は意識していなかったということです。
どの作品も、焦点があっている所とぼやけている所があります。ぼやけているとか、あるいはクラックなど、他の写真家が欠陥と感じていることすら芸術表現の1つのように捉えて、作品にそのまま反映させています。
Ⅲ 名声だけでなく富も
《ヴィヴィアンとマーリン 》 |
『テニスン「詩集・国王牧歌」のための挿図集』第1巻に収められている挿絵写真です。
自分が突き進む道に対する信頼や信念というものは、自分が追い求め、突き詰めなければ、思い描いた作品は出来上がりません。自画自賛はうぬぼれではなく、自分を信じている証なのだと思いました。
Ⅳ 失敗は成功だった
《ケイト・ドア》 1862年頃 |
枠のようになっていてきれいだと思うけど、当時は思いもよらないことなのだろうと思います。
この作品は、キャメロンがカメラを贈られるより以前の撮影ですが、キャメロンが印刷していることから、彼女はカメラを手にするより前から写真に携わっていたということになります。それがどれほどのことかは分からないようですが、このような実験的なことができるのなら、自分で撮影するのはどれほど楽しかったことだろう、となんだか微笑ましいような気がしてきます。
生誕200年記念に作品の多くを収蔵するヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が企画した世界巡回展であり、日本では初の回顧展。
わたしの彼女の作品を初めて見ましたが、どれも独創的で美しく、写真だけど絵画のようなイコンのような作品だな、と感じました。
写真史上において、とても重要な人物が、独学で写真を学んだ女性、というのが、そもそも面白いです。でも、独学だったからこそ、オリジナリティの高い芸術作品としての写真が撮れたのだろうと思います。
《聖セシリア―ラファエロ風に》 1864-65年 |
一部写真撮影OKです。わたしは携帯をこの時に限ってロッカーに入れてしまっていたので、自分では写真が取れませんでした;;
今月19日まで! チラシの写真を見て「いいな」と感じた人は、きっと満足できるのではないかと思います♪
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