フランスに行ったことがあって、その時にルーブルやオルセーなどには行ったことがありますが、なんせ何年も前のことなので、記憶もおぼろげだし、話題にもなっているし、気になったので行くことにしました。
人は多かったですが、作品が見にくいほどではなかったです。
1章ごとの作品数が少なく、9章もあります。印象派前後の時代の作品を中心に、広く浅くいろいろ集めてきた感じでした。
エドゥアール・マネ 《笛を吹く少年》 1866年 |
チラシにもなっている少年が目当てではないですが(目当ては特になし)、やはり世界的な名画であり、とても大きい絵なので、迫力がありました。
筆跡は見えますが、全体的に平面的です。だからなのか、こちらをまっすぐに見つめるまなざしがとても強烈です。
ジャン=レオン・ジェローム 《エルサレム》 1867年 |
背景の嵐のような空の黒さに目が行き、どこが「エルサレム」なんだろうと思いましたが、右下に磔刑がシルエットで描かれており、やはりここが「エルサレム」であることを示しています。
とても不穏で、少し怖い絵です。
ウィリアム・ブグロー 《ダンテとウェルギリウス》 1850年 |
赤い服のダンテと月桂樹を被っているウェルギリウスが地獄へ行き、そこに落ちた人々の争いを見ているという絵です。地獄へ落ちてなお争う人々。
19世紀半ばから裸体そのものがモチーフになっていったそうですが、この絵も地獄の恐ろしさを伝えるとともに、筋肉美、肉体美を描くための絵だと思います。
これもちょっと怖いです。
ポール・セザンヌ 《マンシーの橋》 1879年 |
セザンヌは「嫌いではない」というくらいの画家ですが、それは好きなセザンヌと嫌いなセザンヌがあるからです。
この絵は幸い(?)好きなセザンヌです。しっかり書き込まれていて、ものの形がはっきり分かります。塗り残しのようにも見える絵の具が薄いところもありません。
セザンヌと言えば静物画ですが、「リンゴ1つでパリを驚かせたい」との意気込みで、リンゴなどの静物画を描いていたそうです。
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー 《灰色と黒のアレンジメント 第1番》 1871年 |
ホイッスラーが体調が思わしくない母親を描いた肖像画。色彩を抑えた画面で、モデルを見つめる画家の目も重なって、普遍的な美しさを持つ絵だと思いました。
今度、京都でも「ホイッスラー展」があります。俄然楽しみです^^
クロード・モネ 《サン=ラザール駅》 1877年 |
モネにも好きなものと嫌いなものがあります。個人的な趣味の問題ですが、比較的形がはっきり分かって、しっかり描き込まれているものが好きです。モネやセザンヌ以外の画家にも言えることです。
駅や機関車などの近代的な文物を描いた作品が好きです。
大きい作品、または人気の作品は左右の幅も大きくとってますが、キャプションが片側にしかなく、絵は見えるけどタイトルが何か分からないとか、展覧会的に重要な作品なんだろうに、キャプションに解説がないとか、気になるところがありました。
音声ガイドを使う人ばかりではないので、そういう人たちのため(tana含む)に簡単な解説がついている作品がもう少したくさんあればいいなと思いました。
展示の分かりやすさよりも、きれいさを重視しているようでした。
1つだけオラジュリー美術館蔵のセザンヌの作品がありました。《草上の昼食》というタイトルではありますが、必要不可欠の作品だったのか、少し疑問です。必要だったんだろうけど。
モネ、マネ辺りが多かったです。印象派の展覧会はよく見に行くんですが、改めて、わたしあまり印象派が好きではないのかもしれない…と思うようになりました。
嫌いではないし、傑作も多いと思いますが。なぜかは自分でもよく分かりません^^;
美術館の展示方法に多少の不自由さはありましたが、気楽にいけないフランスのオルセー美術館に所蔵されている傑作が多数見られるので、とても見ごたえのある展覧会です。
印象派は誰でも見やすく分かりやすいので、展覧会にあまり行かない方も楽しいと思います。
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