http://magritte2015.jp/
お盆の時期に行ってきました。書くのが大分遅くなって…^^;
何はともあれ、ものすごく良かったです! 同時開催の『ルーブル美術館展』よりも良かったです。そっちは見なくても、こっちは見といたほうがいいよ、と言えるくらいに良かったです。
初期の頃の作品はあまりみたことがなかったので、新鮮でした。というか、初期の絵の方が怖かったです…。シュールと言えばそうなんですが、ありふれたものが、あり得ない場所にあるだけで、こんなにも怖い感覚になるのかと思いました。
タイトルと絵の内容が噛み合ってない感じがするんですが、どこら辺のイメージというか要素で、このタイトルになるのか、さっぱり分かりません。
この絵にしても、奥の方にある窓(?)の外は、それは航海をするのは困難なような海ですが、それをタイトルにするにしては、何か小さくない? みたいな。このような印象はたくさんありました。マグリットの言葉から受けた印象では、意味のないことは何もないのだとは思いますが、要するに「よく分からない」のです。
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《人間の条件》 1933年 |
窓の外にある風景をそっくりそのままキャンバスに写しとり、それを窓の前に置いた、という絵。わたしたちが見ているものは、絵ではあるけれど、その後ろの風景も見れている。そっくり同じと言っても、あくまでも絵だから、まったく同じではないんだけど、などと考えて行ったら、きりがない絵です。
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《オルメイヤーの阿房宮》 1951年 |
タイトルはジョセフ・コンラッドの処女作小説。オルメイヤーは主人公の苗字、阿房宮は秦の始皇帝が立てた大宮殿のことなので、まぁ大きな宮殿ということです。
小説を読めば、この絵の意味もより分かるのかな? いや、多分違うな。
絵としては、とても好きです。どこか得体の知れない空間に浮かぶ宮殿。木と石で、丈夫なんだか脆いんだか。ひび割れてるし…。
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《不思議の国のアリス》 1946年 |
マグリットにはメルヘンな時代もあったそうです。違う人の作品みたい。タッチもルノワールを意識しているそうな。でも戦争で大変な時代。暗い世相を絵だけでも明るく? ということなんでしょうか。そう考えると、メルヘンも切なくなります。
もうここまでわけ分かんない状態が続くと、逆に面白くなってくる不思議。分からなさすぎて、それが心地よくなってくる感じです。
キャプションや会場に散らばっているマグリットの言葉を読んで、その内容や絵の意味を理解しようと努力はするんですが、努力し過ぎると病んじゃいそうになります。なので、あまり考えすぎず、「分かんない~」って言ってるくらいが楽しく見られるのではないかと思います。
〈絵画自体に感情はない。感情があるのは見る者の方〉
妙にしっくりくる言葉でした。見る者だけでなく、描く者にも感情はあるはずですが、マグリットなら、感情を抜きにして理屈と概念だけで絵が描けそうです。
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《空の鳥》 1966年 |
後期の絵になると、馴染みが出てきます。シュールさはあっても、絵がきれいで整っているので、とっつきやすいです。よく見ると変なんですが、初期の頃のような分かりやすい違和感はあまり感じないです。
《光の帝国》もこの絵のように、夜と昼が共存するみたいな印象があります。
マグリットの絵画は、本人曰く、
〈ばかげた精神の習慣の総体との断絶を示す最良の証拠〉
なのだそうです。大体において、分かるような分からないような、なんですよね。
精神の習慣というものが馬鹿げてるのかどうかは、おそらく個人の考え方に因るところが大きいと思います。ただ、当たり前と思うことや、これはこうだと決めつけること、あるいは常識とか慣習ということが、時に煩わしく、意味のないものに思えてしまうことはあります。
そういうものと完全に断絶することは、おそらく不可能なのではないかと感じるのですが、その断絶の証拠を示してくれている画家がいるので、可能なのかもしれません。
わたしにはきっと無理ですけど^^; そもそも、断絶させようと思うこともないです。
もう一度行きたいな、と思うくらい、とてもすてきな展覧会でした。わけ分かんない、と書いただけのレポになってしまいましたが、でもその分かんなさがいいんです。
深く考えるもよし、表面を見るだけでもよし、不気味さ、きれいさを堪能するもよし、非現実的でありながらとことん現実を考えて描かれた世界を味わってください^^